Les Petites Vacances vol.72009/07/11 03:12

昨日は浜離宮でリハーサルで、今日はトッパンホールでコンサート。


最後に、僕が小さい頃に住んでいた旭丘堤1丁目。
森隆君って小さい頃の友達に追いかけられるボク。
どこだか分かりますか。
右の住宅街の裏は、もう住宅移転し、南光台に向けた道路が出来て
います。

旭ヶ丘幼稚園に通ってたのに、遠かったのか、登校拒否を起こ
し、緑ケ丘幼稚園に。
その後、南光台小学校に1年間通っていました。

 八乙女中学校の脇にあった小さな公園で散々遊んだのですが、今
は道路の橋桁工事のために、完全に山がなくなってしまったのが残
念だったけど、今も他の森林公園がたくさん残ってて仙台は今でも
本当素敵です。

 当時は、写真の色のように、記憶も少し赤茶色の映像で残っています。黒松に池があった映像も少し頭に残ってトランザム鷹のマークの車を見つけて喜んでいたり、当時のシビックは、茶色で、フレームの脇から塗装がはげているので、学校の帰りがけに一枚べりっとはがしてたり、なんかろくな記憶がないのですが、

 仙台名物じゃないかなと思うくらい、家の段差を埋める石とコンクリートの壁をよじ上ってよく遊んでいました。
友達も当時たくさんいたし、本当楽しかったのです。
仙台の小さい頃の記憶は僕にはかけがえのない宝物です。

あれから何十年とたった現在、こうして仙台に来れる事を誇りに思います。

せんくらまではまだ時間がありますが、早く皆さんに会いたいです。


そして、それまでにフルートの腕も磨き、新曲も作って仙台に赴きたいと思います。


その前に、実は8月に実は仙台にいくのですが、久石譲さんと新日本フィルハーモニー交響楽団のツアーで仙台県民会館に行きます。

こちらは完売なようなのですが、既にチケットお持ちの方、僕も吹
きます。いいコンサートになるようがんばります。


今後の情報はこちらまで→ http://hiroshiarakawa.com

荒川洋(フルート)

第7回 え、もうお別れですか?2009/07/11 13:33

こんにちは、斎藤雅広12歳です。ちょうどこの頃からでしょうか?目が悪くなりメガネが離せないようになりました。現在ならば近視矯正の手術も安全で進んでいますので、サッサとそうしたかもしれません。当時はまだコンタクトレンズもなかったような時代ですからね。きっかけは田村宏先生のレッスンに伺ったとき、私は初見がとても得意だとかなんとか親がペラペラ言ってしまい、それでは!と試されたら何にもできなくて(笑)。「この嘘つきめ~~!」とたたき出され、これは目が悪いからに違いないということになったのです(笑)。そうしているうちに学校の黒板も見えにくくなってきて、最初はつけたりはずしたりもしていましたが、14、5歳からはかけっぱなしです。1回コンタクトにしようと試みたのですが、1日で水に流して下水行き!親に烈火のごとく怒られて、メガネ人生が確定です(笑)。でも何の不自由もありません。

さて初見がきくかどうかはね、よくわかりません。世間では取材で、ライターが堀江昭朗さんだったりすると「その譜読みの速さと解釈の的確さにおいて・・・・」みたいな文が私の紹介の頭に来るので(笑)、そうでなければと!がんばっているのですが、どうでしょうか(笑)。でもピンチヒッターで二日前に楽譜をもらったり、ピンチヒッターでなくても歌手ってなかなか楽譜くれないから、どんな曲も大体三日で仕上げられないと、仕事にはならないですよね。リサイタルも1週間もあれば余裕みたいな感じであれば、他のコンサートとのタイミングがかなり楽になります。昔のピアニストのギーゼキングが、列車移動のさなかに楽譜を見て、目的地に着いたらそれをコンサートで弾いたなんていう伝説も、十分あり得ることだなあとプロの人は全員思っているはずです。

時間との戦いですが、それも子供の頃一日8時間近くきっちり練習したり、ちょっとでもいい加減なことは許さない師匠の田村先生のご指導、これがあったから現在があるのだと思います。厳しくしてくださった先生に心から感謝しています。先生のおっしゃることは絶対で「ピアノやるなら自転車なんか乗るな」という教えも守りました。ある日先生のお宅に伺うとご不在で、「あれ?」と思っていると、向こうから自転車に乗ったおじさんが手を振りながら・・・まさかとは思いましたが・・・(爆笑)。大人になってからの先生との雑談では、こんな「目からうろこ」的な面白い体験があって、私はとても運が良かった。怖いだけの思い出ならきっと身につくことも少なかったと思います。

多くのすばらしい先輩にも恵まれました。世の中が手のひら返しをしても、温かく見守ってくれている人がいることは、どれだけ心の支えになることでしょう。いまや不景気の中で、少しでも勝ち馬に乗ろうとする風潮盛んなこの頃、みんなが助け合って、それぞれ個性を出し合って進むのが正しいと思います。私たちの場合なら、楽しくみんなが気持ち良くなるように、ステキな音楽を通じて明るくジャンプ!仲間たちとともに悔いのない人生が過ごせるのではと思います。「せんくら」もそんなナイスな出会いの象徴です。

それではみなさま、斎藤雅広50歳がお目にかかれるのを心から楽しみにいたしております(笑)!お次のかた、おまたせ~ッ!


斎藤雅広(ピアノ)