響きは立ち上がる2009/08/16 09:47

地球に生命が誕生してから三十数億年の時が流れているという。水から陸へ活動の場を求めて、生命は常に上の方向を目指してきたように感じる。海の中をどことなくさまよっていた時代から、自ら動き食を求めて陸へ上がり、飛ぶ者も出た。その流れの中で、脊椎動物として四つ這いだった身体を直立させた私たちの祖先が居る。

植物においても、それらは太陽という、生命にとって欠かせないエネルギーを発する物体へ向かってその丈を伸ばしている。一方大地に根を下ろすのだが、そこでは大地からの養分を受け取って下から上へ吸い上げている。

植物は光合成によって水と二酸化炭素から炭水化物を作り、その結果酸素を排出する。
動物は逆にその酸素を採り入れて体内の物質を酸化させ、二酸化炭素を排出する。
解剖学者の三木成夫( みきしげお、大正1 4 -昭和6 2) 氏によれば、動物の腸管を裏側にひっくり返すと、それはちょうど植物となると解説される。

楽器は自然の動植物または鉱物を加工して作られる。太鼓は一概に言えば主に木を胴としてその出入り口に動物の皮を張ったものである。ヴァイオリンも木製の共鳴体にして、発音体である弦は元来羊の腸を用い、弓は馬の尾である。
演奏という行為は身体を動かすことによって生じる。人間は食物を摂取し、蓄えた養分を燃焼させ水と二酸化炭素を排出するとともに、動力を得る。残った固形物は排泄されるが、昔はこれが食物を育てる為の肥料となり、江戸時代には健康な人のものほど高値で取引されたという。何一つ無駄なものはないのである!

このように人間は大自然が織りなす大きなリズム( = 息づかい)の一過程として生活( 生命活動) をし、そして音楽を奏でてきたと言えよう。
人間が直立( 真っ直ぐに立つ) するという出来事は、この大自然のリムの中で何を意味するのか。日常生活における「立つ」仕草は、積極性があり、ことの始まりを予感させる。立ち上げる、役に立つ、顔が立つ、立役者、立ち振る舞い、旅立ち・・・。

音も立てるものである。西洋音楽は教会で発達し、旋律は常により高い音を目指すエネルギーによって進行し作品全体が構成されている。低い音に回帰することは更なる高い音を目指す伏線となる。立ち上がる響き。教会では賛美歌が歌われる。
日本でも音楽は神事につきもので、祭と呼ぶものには神楽が奏される。特に太鼓は神聖なものとして神社に奉納される。拝む両手の先は天を指している。

こうして大自然と共に生きてきた私たちの祖先が目指してきたのは、紛れもなく「上への方向」であることが明らかになってくるのだ。


竹内将也(パーカッション)

充電できる場所・・・2009/08/16 19:00

皆様こんにちは! 生まれて初めて書くブログです。 
肌にじっとりとまとわりつく重い熱気と不健康なエアコンの冷気に交互に襲われる東京の日々から逃れ、一ヶ月ぶりのウィーンの爽やかさといったら!!

まずラジオを「シュテファンスドーム」というクラシック音楽専門のチャンネルに合わせ、(すみません、TVがないのです!)、朝食をベランダに持ち出して緑の匂いを吸いながら、自宅なのにすっかりと“休暇”気分。
多くの友人が、日本とヨーロッパの往復の頻繁さを「大変でしょう」と言うけれど、飛行機ではよく眠れるし、時差のあまりない(単に鈍いだけかも・・・!)
私にとっては、ここはゆったりと自己充電のできる必要不可欠な時間空間です。

今年の「せんくら」では、ガラコンサートも含めると3日間に5回ものステージを務めることになり、今日はプログラム全曲目の最終チェックに追われました。何しろ歌は1曲の時間が短いので、それぞれの分数を計りながらのレパートリー作りは実は容易ではありません・・・。(事務所からは「なるべく曲が重ならないように」との希望あり・・・。ン、まったく暗譜をする身にもなってください!!)でも結構色彩豊かなプログラムになったかも。夫が1981年に作曲した、リルケの詩による「秋」という作品も初公開です。

鮫島有美子(ソプラノ)